消えた宿を訪ねて──記憶と現実のあいだで
◆ 2日目 福井から富山、そして名立へ
朝、福井を出発。
金沢を抜け、倶利伽羅峠を越え、富山へ。
40年前に泊まった古志の松原の「富山ユースホステル」を探したが、
跡形もなく消えていた。
そこには、ただ風と波音だけが残っていた。
まるで時間が建物を洗い流したかのようだった。
その夜の宿は、新潟のうみテラス名立。
40年前、この地はまだ海だった。
埋立地に立つ宿で一夜を過ごす。
「無かったはずの場所で泊まる」という奇妙な感覚。
過去と現在がねじれて重なるようで、
どこか不思議に落ち着かない夜だった。
◆ 3日目 ダブルレインボーと、お寺の強さ
翌朝。
名立の海にダブルレインボーが架かった。
水平線の向こうに、二重の虹。
旅の空が祝福してくれたようで、胸が熱くなった。
そのあと向かったのは、柿崎の「妙智寺ユースホステル」跡。
お寺は健在だったが、ユースの看板はもうなかった。
住職に話を聞くと、
「お寺はなくならない。祈る人がいれば残るのです」
と静かに言われた。
その言葉が、心に染みた。
民間の宿は姿を消していく。
けれど寺や神社は、**時代を超える“目印”**のように残る。
もしかすると、それが信仰の本質なのかもしれない。
続いて訪れた「日和山ユース」も、更地になっていた。
近くの年配の女性が教えてくれた。
「宿主さんは早くに亡くなったよ」と。
あの頃、若者たちの笑い声で満ちていた場所が、
いまは草の匂いと風の音だけになっていた。
宿は消え、声は風に溶けた。
それでも、どこかでその記憶は呼吸している気がした。
夜は山形県のあつみ温泉で一泊。
波の音が、遠い昔のユースのざわめきと重なって聞こえた。
◆ 4日目 鶴岡ユースホステル──廃墟の中の時間
朝、鶴岡へ向かう。
かつて泊まった「鶴岡ユースホステル」を探すが、
ネットにも地図にも、もう名前はない。
それでも──
バス停の名前だけが「ユースホステル前」と残っていた。
宿が消えても、バス停が記憶を語っている。
それが少し切なく、どこか温かかった。
近くのコンビニで尋ねると、店長がこう言った。
「ユースの宿主の息子と同級生なんですよ」
それは偶然にしては出来すぎている。
だが、彼は首を振った。
「行かないほうがいいです。熊が出るし、もう廃墟ですよ。」
それでも、40年ぶりの再訪を伝えると、
「なら、気をつけて」と場所を教えてくれた。
さらに、設計は“黒川紀章”だという話まで出た。(後で調べ全くの都市伝説)
胸が高鳴った。
けれど、道は鬱蒼とした森の中へ続いていた。
倒木が道を塞ぎ、車では進めない。
傘を握りしめ、徒歩で進む。
風の音が、かつての笑い声のように耳に触れた。

そして──見えた。
鶴岡ユースホステル。
確かに、そこにあった。
けれど、それはもう**“過去の抜け殻”**だった。
壁は崩れ、看板は倒れ、草木に飲み込まれていた。
あの賑やかな声の残響だけが、微かに漂っていた。

木陰が揺れた。
熊かもしれない。
ゆっくりと引き返しながら、
「ロマンではない、現実だ」と呟いた。
40年という時間の重さ。
それは、懐かしさよりも痛みとして胸に残った。
それでも、あの廃墟を前にして、
ようやく当時の自分と同じ地平に立てた気がした。
◆ 記憶は残る、形は消える
旅を続けるほど、
「記憶は残るが、形は残らない」という事実を思い知らされる。
けれど、だからこそ、今を記録する意味がある。
風も、光も、人も、建物も、
すべては流れ去る。
それでも──
その中で感じた一瞬の“ぬくもり”を残しておきたい。

📍次回:秋田・青森編へ続く
