旅のタイムカプセル

タイムカプセルの旅 2025・1日目

大阪から福井へ──40年の時を越えて


午前4時。
まだ夜の気配が残る部屋で、荷物をひとつずつ確かめる。
時計の針の音が、やけに大きく響いていた。

40年ぶりの旅の朝。
「忘れ物はないか」と何度も自問しながら、
心の奥で小さく震えていた。


◆ 旅立ちの儀式

午前6時。
まずガソリンスタンドへ寄り、タンクを満タンにした。
それは単なる燃料補給ではなく、
**これから始まる道の“計測の儀式”**だった。

この旅で、どれほどの道と心の距離を走るのか。
数字で確かめたかったのだ。

高槻を抜け、北へ。
京都に着いたのは8時。
そこで、40年前のあの日の記憶が一気に蘇った。


◆ 京都──両足の悲鳴と孤独の声

坂もないのに、突然、足がつった。
揉んでいると、今度は反対側もつる。
両足同時。地面に倒れ、汗と痛みで視界が歪んだ。

10分ほど揉み、ようやく立ち上がる。
だがその瞬間──パンク。

1年以上、毎日15キロの通学で鍛えたつもりだった。
けれど現実の「連続40キロ」は、まるで別の世界。
**「自分はまだ生ぬるい」**と痛感した。

30分かけて修理し、再び走り出す。
あの焦燥と情けなさは、今でも風の中に残っている。


◆ 道迷いの果てに

五条トンネルを抜け、山科から大津へ。
だが地図がない。
持ってきたのは「福井以東の地図」だけだった。

「地元だから迷わない」と思い込んでいた。
その油断が命取りだった。

ガソリンスタンドで道を尋ねると、
年配の男性が自信たっぷりに教えてくれた。
しかしそこは──自動車専用の西大津バイパス。

猛スピードで走る車の列。
トンネルの中で、恐怖で背中が冷たくなった。
まるで死と並走しているようだった。

ようやく抜け出し、西大津駅に着く。
そこで今度は女子高生3人組に道を尋ねた。
「すみません」と声をかけた瞬間、
「きゃーっ!」と叫んで3人そろって逃げていった。

──心が沈んだ。
世界から拒まれたような孤独を感じた。


◆ 灼熱の宿と眠れぬ夜

夜8時、大津駅に着く。
通常なら2時間の道を、4時間もかけて走った。

疲れ果てて宿を探し、
老婆が営む小さな宿にたどり着いた。

「窓を開けてはいけない部屋」に通され、
蒸し風呂のような熱気。
扇風機はなく、あるのは1時間100円で動くエアコン。

100円を入れても、眠るたびに暑さで起きる。
何度も投入を繰り返し、ほとんど眠れなかった。


◆ 再出発の朝と琵琶湖の風

翌朝5時。暑さで目が覚める。
濡らしたタオルで体を拭くと、ひんやりして気持ちがいい。
そのまま気を失うように50分ほど眠った。

起きると6時前。寝不足のまま、足をほぐして再出発。

坂を下り、琵琶湖へ。
風が頬を抜け、湖面が朝日を返して光る。
ようやく旅が始まった気がした。

白鬚神社で車を止め、
40年前と同じアングルで写真を撮る。
あの時は静まり返っていたが、
今日は七五三で賑やか。
静寂が祝祭に変わっていた。

1985年の白髭神社鳥居

◆ 福井への道、そして“若さ”という奇跡

マキノのメタセコイア並木を走る。
40年前はなかった道。
木々は堂々と育ち、
木漏れ日の下にはおしゃれなカフェ。

ポニーを眺めながら、
マッシュルームスープとバケットの昼食。
時間がゆっくりと後ろ向きに流れているようだった。

滋賀と福井の県境の峠。
自転車で越えたときは地獄のようだった。
汗が目にしみ、息が上がる。

その時、山林を駆ける雷鳥を見た。
自由の象徴のようで、眩しかった。

そして峠の頂に立つ「福井県」の標識。
思わず「よし!」と声を上げた。
あの看板を見るために、走っていたのかもしれない。

驚いたのは、
昨日あれほど足がつったのに、今日は一度もつらなかったこと。
若さとは、回復力そのもの。
たった一日で身体が旅に馴染んだ。


◆ 妖怪の宿と、青年サイクリスト

福井駅に着く頃には、完全に体力が尽きていた。
ユースホステルを探すと三軒あり、
一番近い宿を選んだ。

そこは自治体運営で食事なし。
「安くてご飯付き」が喜びだっただけに、少し寂しい。

風呂に入り、駅前で食事を済ませ、
横になれると思った瞬間──
管理人の老人が「テレビを運んでくれ」と言い出した。

大きなブラウン管。
一緒に運ぶ方が危険だと判断し、
私ひとりで抱えて運んだ。
怒りと疲労で、笑うしかなかった。

やっと床につくと、今度は蚊の襲撃。
蚊取り線香もアースマットもない。
一晩中、羽音と痒みに悩まされ、眠れなかった。

「テレビを運ばせ、蚊で眠らせぬ宿主」──
あの老人は妖怪だったのでは、と思うほど。

けれどその宿で、ひとりの青年に出会った。
二つ年上のサイクリスト。
東京から船で九州へ渡り、日本海沿いを北上してきたという。
すでに1500キロを走破していた。

「どこまで行くの?」と聞かれ、
本当は北海道まで行くつもりだったが、
私は「新潟まで」と答えた。

二日間でボロボロになった自分には、
夢を口にする勇気がなかった。


◆ 旅のはじまりの痛み

その夜、蚊の羽音を聞きながら思った。
「自分は、本当にどこまで行けるのだろうか」

それでも、外の空はもう夜明けに染まりかけていた。
疲れも痛みも不安も、
“旅のはじまり”という名の光に包まれていった。

もしこのブログを読んでいるあなたが、
いま自分の人生の“再出発点”に立っているのなら、
伝えたい言葉がある。

始まりの一歩は、いつだって痛みと共にある。
けれど、その痛みの中にしか、本当の旅の風は吹かない。