自分育て

#27 人は人という括りでまとめられない。

太古の人は体感で分かっていたのだろう。
さもなければ、動物の名を名乗ったり、
身体にペイントして自己表現して力一杯踊ったりしなかっただろう。

にも関わらず、現代人は人を
「人間は平等」と一括りにするから厄介だ。

まるでライオンとしまうまが一緒にいるような状態なのに、
これらを平等!と本気で思っている人の何と多いことか!

うまく生きていくには、
この「奇妙な建前」に気づいて、
本気で、しかも一刻も早く、
自分の居場所と生き方を築くことが重要だ。

よく見るが良い、
俯瞰すると世の中は
ウイルスのような人、
蚊のような人、
蠅のような人、
亀のような人、
鷲のような人、
或いは修行僧のような人まで、
色んな人っぽい生命体が存在しているではないか!
そう、この世は基本的にジャングルでサバイバルだという事を知ること。

お前のもっと若い頃に、
これを伝えたかった。
もしそうだったなら、
あんな愛想笑いも、
バカな付き合いにも巻き込まれずに済んだのだ。

でも、まだ生きているうちに気付いてくれて、
こうして話ができて良かった。

決して、
隣人やパートナー、
同僚や友人に承認欲求を出してはならない。
何故なら自分の居場所のステージが変化するタイミングが来た時に
先へと進めない危険性がある。
また、居場所のステージの差はアイデンティティーの違いそのものであり、
それを承認させるのは相手に苦痛を与えることになりかねない。

先人の孤高の人物たちが、
高山に住処を構えたように、
レベルの上がった人は、蚊や蝿を避けて生活すること。

感情に流され、気まぐれな人と話すよりも自然と語り合うこと。
自分の、
例えば右脳も自然のようなもの。
自分との会話はランニングや散歩中にとても弾む。
地球の自転や航行と同期が可能で、
血行が良くなるような感じがする。

自己本質の探究は生きやすさへと繋がる

人間が大脳を発達させたことで、
生存のための計算や将来への備え、
そして不安感を持つようになったのは、
進化の過程で得た一種の「贈り物」とも言えるでしょう。

しかし、この進化がもたらした副作用の一つに、
生活が安定し余裕が生まれた事で、
「生きる意味」を見つけ出そうとする内省的な探求があります。
これは現代のような安全で、安定した生活環境において、
避けられない精神的な旅となります。

現代は、とにかく生き延びるという「量の生き方」から、
どんな風に生きるかを問う「質の生き方」にシフトチェンジしたのでしょう。
自分は何者なのか?
何になりたいのか?

かつては、このような人生の意義や目的の探求は
宗教が提供する答えによって支えられてきました。
しかし、現代社会において、宗教の影響力は薄れ、
多くの人々は自らの力で生きる意味を見出す必要に迫られています。

この変化は、特に長寿と安全が保証された社会で顕著であり、
私たちはかつてないほどに自己探求の時代に生きていると言えます。

人々の性別が多様化するように、
自分が何者であるか、
何を成し遂げたいのかを考えることも多様化し、
もっと深い層にまで辿り着こうとしています。
これはまるで宇宙旅行のようなものです。

認識されるべき価値、社会的な役割や個人的な充足感に関わるものであり、
人が人として生きる根底にある問いかけです。

自己を定義し、外界に自己を示すことで、
内面と外面のバランスをとり、自分自身の居場所を見つけ出そうとします。

このように、人として生きることは、
自己の内面と外界との関係を模索し、調和を図る過程でもあります。
誰か憧れる人の服装を真似たり、
憧れる人物の行動を取り入れたりすることも、
自分自身を理解し、他者と関わる方法を探る手段の一つです。
それは、自分だけの独特な人生を築き上げていくための試みであり、
自己の本質に近づく旅でもあるのです。

どんな生き方をするかは、個人の選択の結果であり、
みんなそれぞれ違うと思うのです。
だから、人を人という括りでまとめて考える事はやめた方が、
生きやすいのではないでしょうか。

人間はあらゆる生物、物体の要素を持っている。

俯瞰力を使わず行動すると、
人は食物連鎖に対応した行動をします。
つまり、人間は動物を飼育して飼っているような存在だと言えるのです。

例えば、自分が絶対的存在と考えると、
それ以外の思想は不適格とみなし、誰かにそれを押し付けようとします。
そのアイデンティティーはまるでウイルスのようで、
増殖を目的とする。(他を同化させようとするのです。)

また他を利用しようとして、
隙を見つけては人を食い物にしようとする。(草食動物を食す肉食動物)

このように人間は動物であることを再認識し、
本能的な行動から一歩退いて、
人間としての俯瞰的な思考と行動を取り戻すことで、
私たちは自分自身と他者との関係をより豊かで意義あるものに変えることができます。

自己と他者、そして自然界全体との調和を目指すことで、
私たちは大事な時間を無駄にせず、
より良い人生を送ることができるでしょう。

全ては自然であることを知ること

内なる宇宙旅行。
人間の心は、広大な宇宙のように深く、謎に満ちています。
私たちはその一部を理解しようと、知恵と言葉を携え旅を続けます。

この旅は、外の世界を探索すると同時に、内なる宇宙へと向かいます。
大きな頭脳を持つが故に、生存のための備えや不安を抱えます。
まるで脳内ダンジョンです。
それが時には自分自身を苦しめることもあります。
しかし、この複雑な心の迷路を歩むことは、私たちが持つ特別な贈り物です。

春の桜のように儚いこの人生で、私たちは自然の流れに身を任せながら、
自分自身の存在意義や目的を求めブラブラと旅を続けます。
それは一人で歩む孤独な旅かもしれませんが、
全ての自然が同じ事を模索しているのだと思えば、
全ては戦友のような仲間と言えます。
だから、自然の中で感じる四季の変遷や生命の営みは、私たちにとっての指針となり、
深い安らぎと共感を与えてくれます。

この旅は終わりがないかもしれませんが、
それ自体が人生の美しさであり、
旅の途中で見つける小さな発見や喜びが、私たちの心を豊かにしてくれるのです。

それがありのままを見るということに繋がると思うのです。