AIは便利、だけど物語性がない
AIを使い始めて、2年ほどになる。
最初は、正直、少し興奮していた。
画像も作れる、文章も書ける、アイデアも出してくれる。
こちらが思いつかないようなことまで、平然と差し出してくる。
「これはもう、人間いらんのちゃうか」
そんなことを思った夜もあった。
けれど、時間というのは不思議なもので、
使い続けていると、少しずつ輪郭が見えてくる。
AIは、とても優秀だ。
そして、とても“まとも”だ。
言い換えれば、
誰に見せてもおかしくない形に整えてくれる。
荒い言葉は削られ、
尖った表現は丸くなり、
どこにも引っかからない、滑らかな文章になる。
まるで、百貨店の売り場に並べる前に、
丁寧に磨かれた商品のように。
もちろん、それはありがたい。
人に見せる以上、
ある程度の整えは必要だし、
伝わらなければ意味がない。
AIは、その“整える”という点において、
ほとんど完璧に近い。
ただ、使い続けているうちに、
どうしても拭えない違和感が残るようになった。
それは何かというと、
面白くない。
正確で、親切で、整っている。
でも、記憶に残らない。
どこかで見たことがあるようで、
どこにも引っかからない。
そんな文章やアイデアが、
静かに、しかし確実に増えていく。
AIは、“整える力”においては天才だと思う。
けれど、
“狂う力”を持っていない。
人間というのは、少しおかしな生き物だ。
遠回りをしたり、
無駄なことに時間を使ったり、
誰にも理解されないようなこだわりを持ったりする。
効率だけで見れば、
ほとんどが無意味に見える。
でも、その無意味の中にしか、
宿らないものがある。
匂いとか、温度とか、
その人だけの時間の流れのようなもの。
AIは、それを均してしまう。
悪気はない。
むしろ善意で、
「こちらの方が分かりやすいですよ」と差し出してくる。
けれどその結果、
何も引っかからないものが出来上がる。
売れるかもしれない。
嫌われもしない。
ただ、残らない。
だから最近は、
AIとの付き合い方を少し変えた。
答えを求めるのではなく、
一つの“意見”として聞く。
「一般的にはこうです」
「こうした方が無難です」
そういう声を一度受け取って、
その上で、あえて外す。
整えられる前の、
少し歪んだままの形を残す。
AIは便利だ。
それは間違いない。
これからも使うと思う。
むしろ、使わない理由がないくらいには。
でも、
全部を任せることは、もうない。
AIは、“正解”を教えてくれる。
けれど、
“物語”は持っていない。
人間の面白さは、
正しさから少し外れたところにある。
効率の悪さや、
無駄や、
説明のつかない選択の中に、
あとから振り返って、
やっと意味が生まれるような何かがある。
もし、すべてを整えてしまったら、
きっとそれは、きれいにはなる。
ただ、
自分のものではなくなる気がする。
AIに任せすぎると、
人生まで、
“百貨店仕様”になっていく。
それはきっと、よく出来ている。
けれど、
面白いかどうかは、別の話だと思う。
興味があれば、ぜひ足を運んでみてください。
