自分育て

#4 脳に決定権があるわけではない

脳と一言で言ってもさまざまな器官があるようです。
ここではある論文から引用して、
脳を乱暴ではありますが、
大きく分けて小脳と大脳、松果体の役割を私の頭でも分かるくらい噛み砕いてみました。

小脳と本能的行動

小脳は主に運動制御やバランス調整に関与しているとの事です。
神経科学者たちは、小脳が単に運動に限らず、
感情や認知のプロセスにも影響を及ぼすことを発見しています。
(引用 “Cerebellum and Emotional Behavior,”ブレインリサーチ )
小脳が司るのは長らく肉体的な運動が主だとされて来ました。
しかし、最近の研究で小脳は、
感情や認知にも影響を与えていることがわかってきたとされています。
つまり小脳で感じた怒りなどの感情に応じて、
ものに対する認知にも変化が起きるというのです。

確かに私たちは嬉しい時と絶望感に苛まれている時で、
空や海の青さに変化があるということを潜在的に知っています。
例えば、恋心が受け入れられた瞬間の空は更に青く輝いて見え、
失恋後は空が暗く見えるような感覚でしょうか、、、

そして、そのような感情によるモノの見え方の変化は世界的絵画でも見る事ができますし、
音楽の世界でもその時の作者の心模様を感じ取る事ができます。
これが大雑把ですが、
小脳が与えるモノの見え方、感じ方の違いでしょう。

大脳と計算的思考

大脳皮質は高度な思考、
意識的な決定、問題解決などを担当し、
私たちの意識的な思考や理論的な計画は、
主にこの部位で行われているとされています。
(引用”Cognitive Functions of the Brain,” ブレインリサーチ)。

私たちが「考えて思考する」というのは、この大脳によるものと考えられてきました。
よって「考えて行動しろ!」と言う場合、
この大脳の計算的思考を使え!と言うことでしょう。

損得勘定や忖度のようなものでつまりは自分の都合、相手の都合、
それらを鑑みて考慮するのはこの大脳の役目ということなのです。

しかし、実際のところは、
大脳が判断を下しているというのは間違いで、
私たちの行動はすべて、ニューロン間の電気信号および化学信号の伝達の結果です。

人間の脳には推定1億個のニューロンがあり、
それぞれのニューロンが数千の接続ラインを持っています。
謂わば巨大なインターネットが私たちの身体の中にもあると言うことです。
例えば、胃や腸、様々な器官と繋がり、
それらの発する信号によって考える前に反応しているのです。

例えば、あなたが昔食べた事あるもので、激しい食中毒を起こした物を見たとします。
あなたはその腹痛を思い出す前に、
胃や腸が視覚を通じて反応し、
「食べるな! それは危険かもしれない! 注意しろ!」と信号を出します。
そして、考える前に気分が悪くなります。
しかし、その後、記憶がやって来て全てを把握し考えてから、
あなたは「思い出したから気持ちが悪くなった。」と後出しジャンケンのように、
思い込んでいると言うのです。

脳は様々な器官の集約装置ですから、
会社で言うとCEOのようなものです。
会社ですから、当然社長の指示で動く部分もあります。
しかし、人間を会社に例えるとするなら、
それは世界的大企業よりももっと複雑な組織です。
とても一人のCEOが細部までコントロールすることはできません。
とは言え、大脳は自分を生きながらえさせるために集約して判断する器官で、
論理的に考えたがり、自分を納得させたい性質なので、
答えを出してしまいます。

それが大脳皮質の高度な思考、
意識的な決定、問題解決などを担当した結果なのでしょう。

しかし、実際現場では考えて行動したと言うよりも、
生き残るためにそうさせられる反射神経的な行動をとって、
後から考えた結果そうしたと思っていると言うのが本当のようなのです。
行動原理は自然界の動物とほとんど変わらないと言えるかもしれません。

松果体と俯瞰的思考

松果体はしばしば神秘的な機能を帯びて語られがちな謎に包まれた器官のようです。
今のところ、
主に睡眠リズムや季節的な生物学的リズムの調整に関与しているとされています。
(引用: “Pineal Gland and Circadian Rhythms,” 松果体研究ジャーナル,)

松果体は現在は朝である、夜である、などを認知し、
そして季節を感じ、自分を自然のサイクルに合わせて、
上手に生きる調整役だと言うのです。

さて、大きく分けて、
「小脳」「大脳」「松果体」と言う3つの要素が私たちの脳に備わっています。

前述のブログで示した人間社会独特の食物連鎖は、
この中でも小脳の本能的行動原理と
大脳の計算的思考原理で生まれ、
ちょっと賢い動物社会くらいのようなモノです。
だから、強いものが弱いものを制圧する縮図社会となるのでしょう。

私たちがより良い生活をするには、
「松果体」の役割に目をむける事が大事かもしれません。
つまり自然と調和する松果体的俯瞰能力を発達させる事ができれば、
本能的な思考から脱却できて、
もう少し調和が取れるはずと思うは勘違いかもしれないけれど、
もしかしたらと思うから、瞑想や禅に心惹かれるように思うのです。

さて、人災という言葉があります。

「人災」というと賢い人類なのだから防げると考えがちですが、
人災の原因を考えると、
ほとんどが先述の本能的思考と計算的思考の狭間で、
個々の自己中心的な思考が生み出す集団心理によって
引き起こされているのではないでしょうか。

政治や交通での問題や事故、一見防げそうな人災に対して怒りを感じてしまいます。
事前に優れた人がアドバイスしていたはずなのにと、
しかし、いつまで経っても人災は起こり続けます。

先日の通り、
「人災は多くの人の本能的思考と計算的思考の狭間で、
個々の自己中心的な思考が生み出す集団心理によって引き起こされている。」

そう考えると、人災は同調圧力が引き起こす
(地殻プレートのズレのような)天災の一種だと思えてならないのです。

私たち個人にもそれは当てはまるような気がします。
個人の小脳の本能的行動原理と
大脳の計算的思考原理で行動を起こしていては、
いつ人災的災害に見舞われてもおかしくない。
肉体的反射を司る小脳や大脳に任せるのではなく、
自然と調和する俯瞰力を育て、そしてその時の損得勘定だけでなく
大きな視野を持つことが大事だとつくづく思う今日この頃です。