自分育て

#11 第二部 人間関係とコミュニティ

人間関係の理解

多くの人の悩みが「人間関係」と「金銭」が占めるという研究結果を目にしました。
両方が約40%ずつといいますから
世の中の悩みの大体半分は「人間関係」ということになります。

さて、それでは人間関係とはそもそも何なのでしょうか?

そこで人間関係から得られる作用について考えてみました。

  1. 影響を受ける(何か教えてもらう。刺激をもらう。)
  2. 影響を与える(何かを伝える。刺激を与える。)
  3. 共感する
  4. 敵対する

これらが集約した人間関係と思われる。

そして、この中から1と2の影響を「受ける・与える」関係というのは、
生きている人はもちろん、
既に亡くなった方、そしてまだ生まれていない人とでも得られる人間関係。

それに比べて、「3の共感する」、「4の敵対する」に関しては、
現在生きていて、しかも高い関係性の人、
つまり一緒に住んでいる家族、恋人、
上司、部下、同僚、
同業者、級友、単に友達、などがこれに当たるでしょう。

私たちが言う「人間関係に悩む」というのは、
生きていて、
尚且つ近くに居る(定期的に会わなければならない)人間に対してのみ、
成立すると言えます。

ここで付け加えておきたいのは、
「共感」は先人の著作物から得ることもあると思いますが、
誰かの経験や感じた事を「分かるー」と共感しているように思うかもしれませんが、
相手はすでに亡くなっており、あなたに分かってもらえたという相互関係がないので、
「共に感じ合う」のではなく、
「誰かの感情に影響を受ける」1に属すると考えています。

私たちはこの4つの人間関係を混ぜ合わせて、
または微妙にブレンドさせて同時に得ようと複雑な行動をしている。

例えば、職場の上司や目上の人から尊敬でき得る人を見つけたとしよう。
その人に共感し、食事に行ったりして付き合いを深め、
良い影響を得ようとする。

或いはSNSに投稿し、影響を与えながら「いいね」ボタンを貰い、
共感、承認欲求を満たすという果実を得ようとする。

これらの行動で、
果実を得られずがっかりさせられたり、
関係が破綻した経験は誰にでもあるだろう。
つまり、尊敬していた人が私生活で乱れていたり、
意外に人間的に小さい人だったという面を見せたり、

貰っていた「いいね」ボタンはこちらからも押さないと、
貰えなかったり、意外に面倒なストラデジーなのだ。

これら戦略の当たり外れも人間関係の悩みの一つだろう。

そう考えると、尊敬したり、
見習うべき人は生きている人からでなく、
むしろ既に亡くなっている偉人や哲人で、
現代でも著書に触れることができる人から得る方がよっぽど良い。
今生きている人の中で、
数百年経っても読まれ続ける、
もしくは影響を与える人がどれだけいるだろう。

恐らく百人も居ないだろう。
しかし、既に亡くなっている偉人や哲人は相当な数になる。
現在の80億人の生きている中から優秀な100人を探すより、
過去の偉人の中から自分にフィットする尊敬できる人を探す方が効果的なのは明白だ。

尊敬できる人がいる幸せ

尊敬できる人がいるというのは目標が出来ることでもある。
そんな人が頭の片隅にいるだけでも大変幸せなことだ。
そして、何度も言うが、
それは何も生きている人である必要はない。

何故なら、生きている人に対しては本能的な反射が伴うからだ。
どんなに素晴らしい人でも、
目の前にいて同じ空気を吸っているとお互いの引力の歪みのようなもので、
どうもしっくりいかない事が出てくる。

それよりもこの世にいない人とのやり取りを楽しむと言うのは、
ある意味、野に咲く花や遠くの星を眺めるような感覚だ。
先人、偉人の書物を読み、その心模様を眺め、熟考する。
これも一つの対話。
生きている人と対話するよりも得るものが多い。
今そばに居る人は「こちらが分からない時に私に説明しすぎるのだ。」
この説明しすぎる面は、自分にも当てはまる。

人間以外にこの死者との対話、また未来の人を想像して対話する事はできない。
そんな書物を残してくれた人で、尊敬しうる人がいれば、それで幸せだ。

もちろん現在生きている人で尊敬できる人が近くに居るということは素晴らしいことだ。
しかし、誰もがその幸運に恵まれる訳ではない。

居ないと感じる人はあらゆる故人の書物と対話し、
見つける事。
そして、一回だけでなく、
自分の成長と共に何度か読み返して、
視点や解釈が変わってくる事も大変面白いと思うのです。

まだ見ぬ人へ伝える

これと同様に、
何かを伝えたい。影響を与えたいという人間関係がある。
先ほどの「説明しすぎる面」がこれに当たる。

この欲求は強烈で、
誰もが他人に影響を与えたがっている。
これは自分が生きているという証を得たい原理で、
実存主義(現存主義)にも通じる思想だ。

誰かと触れ合いたい、というのは、
触れたいという気持ちの前に、
自分が生きている実感を得たい欲求であり、
これは犬や猫にでもある原始的煩悩とも言える。

その欲求を簡単に得ることが出来るからこそ、
SNSは急速に広まったのだ。

そして、その欲求を得られない苦しみに「無視」がある。
誰にも影響が与えられないというのは「生きている実感がない」事になるから
その苦しみは強烈だ。

犬を躾ける際、
体罰を与えるよりも無視が最も効果的だという。
それは犬が社会性の高い動物であるから、
そこからはみ出るというのは「死に値する苦痛」であるからだ。

このように生きている人から承認されたいというジレンマを抱えると、
それらを自ら追いかける事になる。
つまり、相手の期待に振り回されてしまうのだ。

それならいっそ生きている人間関係の影響の授受から逃れて、
まだ生まれてきていない人、もしくは会うことのない遠い人。
予言的な日記や作品を細やかな楽しみとすることで、
影響の授受の苦しみから解放されると思われる。

恐らくこれには日頃の鍛錬が必要だと思います。
修行僧が山奥に向かうのは、
「人間関係の影響の授受から逃れる」為だったように思います。
現在でいうなら、ネットデトックスもこれに当たるだろう。
こんなことをブログで書くのもおかしな話ですよね。