自分育て

#15 メディテーションと日常生活

メディテーションの習慣化

五感をシンクロさせることがヨガや禅、瞑想というスキル

瞑想などのスキルの目的は、
自分が自然の一部であることを認識し、意識するメソッド。
禅やヨガ、ドリームタイム、色んな言葉で表現されているけれど、
目的はどれも同じ。
最近ではマインドフルネスと呼ばれているように
様々な文明のもと太古から構築されてきました。

人間の進化の過程で、私たちの脳は他の生物と比べて格段に大きく、
複雑に発展しました。
これにより、高度な思考、創造性を持つに至りましたが、
同時に悩みや苦悩を抱える能力も備わりました。

私たちの先祖が直面していた日常のサバイバルの課題から、
現代では物質的な豊かさや安全性が向上したことにより、
内面的な充足や精神的な平和を求めるようになったのです。

この変化は、
メディテーションや瞑想のような精神的実践が必要とされる理由を説明しています。
つまり、日々の生活が安定して明日が保証されればされるほど、
つまり安全な世の中になり生きやすくなるほど、
メディテーションが必要になるという、
何とも皮肉な事になっていく。

子供時代から大人への移行

それは私達が無邪気に生きていた子供の頃から、
思春期を迎え、やがて大人になる過程でも感じる事ができる。

子供の頃は、心配事が少なく生活の中で純粋な喜びを感じることが多いですが、
年齢を重ねるにつれて、
社会的な責任や個人的な目標に対するプレッシャーが増えてきます。
つまり色んなことが分かっていくという成人になる過程で、
私たちは自分自身との関係や生きる意味を探求するようになり、
メディテーションのような精神的実践が、
この探求において重要な役割を果たすようになります。

幼少時代には気にも掛けなかった、
心や生きる意味、精神安定、そして宗教の事など、
自立したり、財を築くにつれて知らず知らずに意識が導かれていく。

ヨガ

ヨガというと、
身体のストレッチのような運動を「ヨガ」と思われている方も多いでしょう。
しかし実際は、ヨガはあらゆるジャンルに存在します。

音楽、瞑想、食事、睡眠など、
実は色んなヨガがあり、
体操のヨガだけがヨガと浸透してしまっているのを危惧して、
ヨガの呼称を禁止するように求めるインド人もいるほどです。

しかし、もうすでに一度広まってしまった呼び名は
例え間違いであっても大衆の意識を変更することは出来ない。
間違った噂やデマが一度流れると払拭できないのと同じですね。

さて、体操のヨガの目的はなんでしょう。

肩こり、冷え性

肩こりや冷え性、ずっと同じ体勢をしていて足が痺れた経験は誰にでもあると思います。
肩こりは肩の筋肉がもっと使って欲しい、
血流を良くしてほしいというサインを送っている。
その結果、肩が凝るという感覚に陥ります。

その対処の答えは、肩の筋肉を動かすことだ。
冷え性を覚えた足先も同様に動かして血流を良くすること。
しかし、多くの人が冷えを覚えたら、動かすのではなく、
部屋を温めたり、厚着したり、毛布を羽織ったりする。
本当は動かして、自力で温める事、
また定期的に動かす習慣やもっと鍛えてほしいという
部位からの懇願であるにもかかわらず、
大脳はそんな懇願を無視して、強制的に温める事で終了というわけだ。

肩こりや冷え性は誰にでも分かりやすい症例だが、
そういった身体の信号はたくさん発せられている。
しかし、現代の生活では
身体が一番の資本であった原始の生活に比べ、
頭を使ってやる事がたくさんあり過ぎます。

その結果、身体の信号をほとんど無視し、手っ取り早く解決する方法に慣れてしまった。
様々な身体の部位から発せられるサインを無視し続け、
それが重要であることも忘れ去られてしまったのでしょう。

体操のヨガは、身体をほぐし、各部位に「挨拶」する実践です。
これは、単に肉体的な柔軟性や筋力を高めること以上の意味を持ちます。
身体の各部位への意識を高め、心身のバランスを整えることが目的です。
このアプローチは、大脳主体の生活から一時的に離れ、身体全体の調和を求めるものです。

だから、体操のヨガはあらゆる体勢(当事者の身体能力に合わせて)で、
身体をほぐし、各部に挨拶するのです。
足首さん、元気ですか?
肘さん、膝さん、最近どうですか?
というのが体操のヨガの本来の目的という訳です。

ヨガは、身体的な健康だけでなく、
心の平和と精神的な満足を追求するための包括的な実践です。
体操のヨガを含む様々な形態のヨガは、
私たちが自己と深くつながり、
日常生活の中で発生する身体の信号に対処する手段を提供します。
ヨガは、自分自身の内側と外側の世界との調和を促すための強力なツールなのです。

チャクラ

チャクラの概念は、インドの古代哲学や霊性の実践に根ざしており、
人間の身体と心に存在するエネルギーセンターを指します。

これらのチャクラは、生命エネルギー(プラーナ)が流れる経路上にあり、
各チャクラは身体感覚である五感、
プラス二つの感覚、精神的、感情的な側面に関連しています。
以上7つのチャクラが人間には備わっていると言います。

五感は動物にも備わっています。
(ただし、コウモリなどには私たちには備わっていない超音波による空間感覚もあります。
だから、実際は解明されていない身体的感覚はもっとあると思われます。)

後の二つは人間に備わっている感覚です。
その一つは自分を俯瞰する感覚です。
もう一つは人の気持ちに共感する心の感覚です。

人間独自のチャクラ

自己を俯瞰する能力や他人の感情に共感する能力は、
人間が持つ特別な感覚であり、
これらを通じて自己認識と人間関係の深化が可能になります。

しかし、この二つの感覚を意識せず、使わずにいると
身体的感覚にのみ頼る生き方になり、
動物のように生きることになります。

チャクラをバランスよく覚醒させ、循環させることは、
自己の内面にある潜在的な力を解放し、
より高い意識状態へと進化するプロセスです。

このプロセスは、瞑想、ヨガ、呼吸法などの精神的実践を通じて促進されます。
バランスの良いチャクラの働きは、
自己と宇宙の深いつながりを感じ、
日常生活においてもより意識的で調和の取れた活動を促します。

チャクラの概念は、単に身体的な健康や心の平和を超えた、
自己の深い理解と宇宙との一体感を求める旅です。
チャクラを通じて、私たちは自分自身と外の世界との関係を再考し、
より意味のある人生を生きるための洞察を得ることができます。
自己という存在を客観的に眺め、その複雑さと美しさを理解することは、
自己成長と精神的な旅の道を開きます。

そして、この7つのチャクラを上手に刺激し目覚めさせ、上昇させると、
裏チャクラが目覚め、11、13と増えていくとされています。
実に興味深い概念ですね。

11のチャクラの図

13のチャクラの図

チャクラの覚醒について語る際、
その概念が宗教的、神秘的、
あるいは非現実的なものとして捉えられがちなことは確かです。
しかし、この覚醒は実際にはもっと現実的で実用的な側面を持っています。
チャクラの覚醒は、自己認識の深化、精神的な成長、
そして個人的な変革の過程として理解されるべきだと考えます。

チャクラの覚醒が進むにつれて、
自分自身を客観的に見る能力が高まり、
自分の行動や思考、感情の背後にある動機やパターンを
より明確に理解することができます。

例えば怒りを感じた場合、
怒りを感じた事象や相手に焦点を向けるのではなく、
「あぁ、この人(自分)怒ってるなぁ、、、」と考えるのです。
そして、じゃぁ落ち着かせるために、
お茶でも飲んで対話しようか、、、と考えるのです。(なかなか難しいですが、、、)

この行動は、自分自身や他人に対する共感の深化を促し、
より寛容で理解のある態度を育むことにつながります。
また、この覚醒は日常生活における小さな美や喜びに気づくことを可能にし、
侘び寂びのような美学的な感覚を発展させます。

自分自身の内面と外の世界との関係を再構築することにより、
より豊かで満たされた人生を生きるための道を提供します。
それは、宗教や神秘主義を超えた、実践的で深い自己啓発のプロセス、
その一つのスキルがチャクラの覚醒なのです。

禅、マインドフルネス、ヨガ、瞑想など、
これらすべての実践の根底にあるのは、
自己の内面に深く潜り、意識を高めるという共通の目的です。
自分に合った方法を見つけ、それを実践することが大切だと思うのです。

二十四節気七十二候、自然サイクルとシンクロする

私たちが日々の生活の中で
簡単に取り入れることができるメディテーションの形として、
自然サイクルとのシンクロがあります。

日本のように四季が豊かで、
気温の変化、食べ物の旬、鳥獣の活動が一年を通して変わる国では、
二十四節気や七十二候のサイクルを意識することで、
自然とのつながりを深めることができます。

建物の中で年中適温に調整された変化のない生活が、
謂わば大脳に頼った勘違いの生活と考えれば、
約二週間ごとに変わる二十四節気と、
約五日ごとに変わる七十二候のサイクルを感じて生活することは、
身体のヨガで自分自身の各器官と対話するのと同じで、
五感を刺激し自分のチャクラと対話することと同じと言えますね。