自分育て

#13 コミュニティ選び

コミュニティ参加の上で重要なこと

人間は究極の社会性動物です。
従って誰もが強制的に何かしらのコミュニティーに参加する事になります。
生まれた瞬間、家族というコミュニティに守られ育てられ、
そのうちに学校や会社などに属していきます。

現在、隠遁生活をしているという人も、
生まれた時からある程度自活生活できるまで、
どこかしらのコミュニティーに参加し育てられてきた筈です。

しかし、ある程度育って自立するに従って、
自分で参加するコミュニティーを選べるようになります。
この選択できるというというのは、
ある意味「自由選択のパワー」を得る事です。

誰もがお金持ちになりたいと考えるのは、
お金はそれによって選択の自由が得られるから欲しいのであって、
お金自体には本当は何の魅力もない筈です。

それと同じで、
参加するコミュニティを選べるということは大きな力です。
例えば会社というコミュニティも学歴が優秀であれば、
選択の幅が広がります。
逆に特技も何もなければ、
選ぶ権利はありません。

ほとんどの人がお金を得るために会社というコミュニティに参加しなくてはなりません。
しかし、もしあなたが経済的に働かなくても良くなる程大金を得たら、どうでしょう?
恐らく、その仕事が心から好きでもない限り、会社は辞めて、
さっさとあなたの好きなことをする筈です。
そして、あなたが望むコミュニティーに参加したり、
もしくは形成したりするでしょう。

なので、参加するコミュニティを選ぶという行為は、
とても大事なことです。

ただ行き当たりばったりで参加するコミュニティを決め、
どうせどこも同じ、と考えるのか、
もしくは何を求めてコミュニティに参加しているのかを意識することは、
その後の自分の将来が変わってくると言っても決して大袈裟ではないのです。

人と付き合うということ

コミュニティに参加するということは、
他人と付き合うということになります。
人と向き合って、意見を交わすということは
当然、影響を授受し合う事になります。

そして、それは精神的な物々交換のようなもので、
無意識のうちに情報や感情、精神性にも影響を与えます。

現在では当たり前になりますが、
情報は資産、つまり財産です。
そして、精神的な安定とか穏やかさも実は財産です。

つまり金銭をやり取りしているように、
付き合う人によって、情報や精神性もやりとりしているのです。

お金持ちはお金の使い方が上手い。
貧しいとギャンブルや宝くじのような、下手なお金の使い方をしてしまうのと同じように、
情報や精神性にも上手な活かし方、下手な活かし方があるように思います。

つまり「類は友を呼ぶ」という因果応報が、
あらゆる面でコミュニティ、細かな人付き合いから影響されているのです。
朱に交われば赤くなる。
あなたの将来が赤信号なのか、
青信号なのか、あなたのコミュニティ選択と人への対処で決まるのです。

物と同じようにマインドも腐る

人と付き合うということは大変怖い面があることは前述の通りだ。
何故なら人の心はナマモノだからだ。
したがって、心も扱い方によって腐ることがある。

つまり、心も真夏の炎天下に生ゴミを放ったらかしにするように、
悪状況下に晒すと、いつの間にか蝕まれてゆく。

例えば人の悪口や愚痴をいうようなコミュニティ、
またはそれが当たり前の人とは関わらないことだ。

また、人は長い歴史上、
常に食物不足に悩まされてきた結果、
誰かを切り捨てたり、生贄にしてきた文化があります。

その為、次に切り捨てる人物のランキングを常に行ってきたというのです。
そのランク付けは、噂話によって精査してきた。

自分の生死に関わる事なので、
この噂話は絶えず気になるし、
気にしていないと、いつの間にか自分が標的になっているかもしれない。
だから人は噂話が最重要情報で
注意を払うようプログラムされてきたという。

現代では食糧難による口減しも必要ないし、
自然災害を祈念する生贄の習慣もない。
有史以来、これだけ人間が安心して暮らせるようになった事はないだろうし、
生死の危機感も最も薄いだろう。

にも関わらず、人間は長年培ってきた、
他人の噂話文化から離れられないのだ。

ただ、ここで一つ言いたのは、
学校、特に小学高の高学年と中学校の学校生活は
人類の恐ろしい原始的コミュニティーの形を留めていると言える。
時折自殺した生徒のニュースを聞くたびに、
原始時代の切り捨て、生贄とダブるのは私だけではないと思う。

もし、小中学生で奇跡的にこれをみた生徒がいて、
苦しい思いをしているならば、
是非逃げ出して欲しい。

学校の先生も親も、そのコミュニティーの恐ろしさを理解していなし、
自分たちの立場を守るので精一杯だから、到底アテにはならない。

とにかく、現在では心が腐るようなコミュニティに参加する必要はない。
お金、時間、情報、精神性を豊かに保てるコミュニティでなければ、
いっそ独りの方がよっぽど良い。

心の洗濯

腐ったコミュニティーや
腐った人と関わっていると、心は腐ってきますが、
普通に生活していても、心は澱んで腐る可能性があるのです。

だから、どんな人でも定期的な心の洗濯は重要だと思います。

心が腐る理由をいくつかを挙げていきます。

  1. 同じ事を繰り返す。
  2. 同じ事を繰り返し考える。
  3. 同じ事を繰り返し思い出す。

つまりは堂々巡りに入ってしまう事が、
心が澱む原因だ。

そんな時は忘れられるような場所、
行動をとることが良いように思います。

これがリフレッシュです。
リフレッシュは心が腐ることの逆をやれば良いのではないかと考えます。
つまり、

  1. 違う事をする。
  2. 違う考えに触れる。違う人と会う。
  3. 行ったことのないところに行って、新しい思い出を作る。

これらを定期的にすれば、心は澱む事はなさそうです。

マインドチェーンの世界に犠牲はない

世の中のほとんどがフードチェーン(食物連鎖)のアイデンティティーで形成されています。
それはこれまでの人類がその他の動植物と同じ自然界の法則で生きてきたから、
当然の結果でしょう。

しかし、その法則から外れるくらい、
人間の生活は裕福になり、
死と隣り合わせという不安な生活では無くなった。

そうして、フードチェーンからマインドチェーン(精神連鎖)の世界に
人類は手を掛け始めている。

マインドチェーンは全ては互いを高める相互上昇の関係であり、
人を食い物にしない次世代のコミュニティだと思うのです。

これは仏教の説く、
殺生を禁ずる教えの向こう側、
要するに人の心の殺生から離脱する生き方のように思えるのです。
直ぐに動物を食べない生活はできないが、
まず、人間同士の精神的弱肉強食から離れる生き方を目指せば、
自ずと関わるべきコミュニティも見えてくると思うのです。